伝言ゲームで根拠のない情報が本当のように語られてしまう現象

こちらは別ブログで2010年1月、すなわちもう8年前に書いたものですが、このブログ向きであったので、一部を修正した上で再掲します。基本的には2010年の状況で書いたものなので、今ほどデマや偽ニュースの問題が叫ばれていなかったときのものですので、それをふまえてお読みください。

昔からある「都市伝説」や「伝聞デマ」

「安全ピンで耳にピアスの穴開けたら白い糸が出てきた。それを引いたら目が見えなくなった」という都市伝説を聞いたことのある人はかなり多いのではないでしょうか。私はこれを中学生時代に聞いたのですが、その時に語った人(たしか女の子)は「友達から聞いて、その友達が実際にそうなった」と言っていた気がします。
しかしこれを聞いた時に「それが神経なら耳が千切れたら神経が切断されるから目が見えなくなるはずだよな。なら何で『耳なし芳一』とか他にも実際に耳が千切れた人は目が見えるの?」と思いついて言いましたが、「本当にそうなんだから」と押し切られた記憶があります。まあ私の当時からの空気の読まなさはともかくとして、ここでは何故か「伝聞」が「真実」として語られていたわけです。

このテの「うわさ話がいつのまにか真実になっていた」ということは、都市伝説ではよくあります。小学生の頃には「高橋名人がバネを使っていて警察に捕まった」という話をさも真実のように語る人がいましたが、あれも実際の所は警察の一日署長をやっていたのがそういうデマになっていたとのこと(ちなみにこの噂はコロコロコミックの高橋名人マンガで「悪の組織の陰謀」にされたとか)。そういえば伊集院光の深夜の馬鹿力で語られていたのでは、伊集院光がテレビ番組で怖い話をすることになり、そのための話を作ったら、後日別の番組で女性タレントがその話を「本当にあった話」として語っていたという話もありました。

このように昔から、伝聞というものは、たとえ最初が根拠のないものや嘘や冗談であったとしても、いつのまにか真実のように語られることが昔から非常によくあります。そして時には、社会的な事件となることもあります。取り付け騒ぎはその一例でしょう。

■参考:豊川信金と佐賀銀行

さらに歴史を振り返ると、この噂を利用して(自ら流言したものも含む)政敵を追い落とす為に使ったりということもよくあります(応天門の変など)。

ITの発達でより発生するようになった伝聞による間違いの拡散

さて、ITが発達した現代において情報がいつでも得られるようになった昨今、このような伝聞によるデマはなくなったでしょうか。いや、むしろ真実ではないこと、根拠のないことがいつのまにか真実のように語られてしまう可能性が変わらずある、いや、ITによって情報網が拡大した今となってはむしろ高くなったと思われるのです。そして、ネットを利用している人は、そんな状況を目の当たりにしたことが何度もあるのではないでしょうか。

よくあるパターンとしては、以下の様な感じ。

(1)真実ではない情報があるところ(掲示板など)に書き込まれる

(2)それを見た人が、その情報を信じてまた書き込みを行う。それが何回か繰り返されることも。

(3)またそれを見た人が、自分のブログなどにそのことを信じて書く。

(4)それを見た人が信じて、真実ではない情報がいつのまにか真実のように広まってしまう。

もっと具体的に言えば、
(1)は2ちゃんねるで書かれたものに影響を受けた人が、
(2)でコピペなどで拡散する(一人が両者をやる場合もあり)。
(3)ではそれを見た人がブログやmixi、Twitterやニコニコ動画などでそのことを採り上げ、さらにそれを見た人がさらに同じようにそのことを書く。そしてその情報がいつのまにか真実のように語られてしまう
という感じ。
とりわけその情報に対する注目の度合いが高いものに遭遇した時そうなりがちです。

ちなみに最初の時点では嘘ではなくても、伝言ゲームの容量で途中で意図してかしないでか、その情報がねじ曲げられてしまう事もあり得ます。そして最近、この傾向によっていつのまにか根拠のない情報が真実のように語られてしまうことが多くなっているように思えます。

理由はいくつか考えつきますが、まず、「ネットの情報をそのまま信じてしまう人が増えた」ということ。
昔は2ちゃんねる内でいくらコピペがなされていたとしても、またはとあるブログで信憑性の薄い情報が書かれたとしても、明確なソースがない限りはそのまま信じる人はそんな多くなかったと思います。それはインターネット自体がそういう「あまり信用出来ない」という空間であったので。まさに「嘘を嘘と見分けられる人じゃないと(インターネットを)使うのは難しい」という意識を多くの人が持っていた時代だったのではないかと。

しかし、インターネットが発展してきたと同時に、報道機関のニュースなども参入し、信頼性が以前より増加してきました。中には既存メディアでは見られなかったような情報まで手に入るようになりました。しかし当然全部の情報が正確になったわけではありません。でも、ここから入ってきた人の中にはその発展したインターネットの嘘を含む全てを信じてしまい、よくある根拠もない情報を信じてしまう人もいるのではないでしょうか。
こう書くと最近の若い者は的に聞こえますが、昔から情報に対しての判断力が低い人はいましたし、ちょっとしか使ってなくても(極論インターネットを使ってなくても)その真偽判断が出来る人もいます。ただ、インターネット利用者が増えれば、絶対数でそういう人が増えてくるのは当然と言えるでしょう。

これにはインターネット環境が整い、その情報が信頼出来るように見えてしまいがちになったというのもあります。つまり、本来はあまり根拠のないような情報でも、フォーマットの整った、さも報道機関と同じようなサイトで伝えられていると、なんとなく新聞社の報道と同じように見えてしまうということ。
最近、ニュースサイトが増えてきましたが、その中には根拠がなさげなものも混じっています。しかしそういう形式が整っていると、なんとなく本当に見えてしまうのですよね。でもこれはネットに限らず、新聞社からなされた情報だったら本当だとか思い込んでしまう心理と同じでしょう。。

聞き、語る人が存在すれば伝聞やそれに伴う間違いの流布も発生する

このように、今、ネットにおいて誰が発信したかわからないような根拠のない情報が、さも真実のように語られているところを見るような気がするのです。

これはネットの特質というよりは、最初に書いたような、昔から人間の間を情報が伝わってゆく時にあり得たことでしょう。すなわち何回もサイトで債発信されているうちに本当のように思えてしまうのは、都市伝説の「友達の友達が……」みたいなものでしょうし、根拠のない情報でもとある人から言われたり、新聞などに書かれたりすると真実のように思えてしまう心理は存在したでしょうから。インターネットでは、その発信手段や受信手段が増しているという感じでしょう。

偽情報の流布を避けるには

まるで他人事のように書いてきましたが、当然自分自身もブログを運営しているという立場上、たとえ嘘を伝える気がなくてもこの「偽情報の再発信」に荷担してしまう可能性というのはあるのですよね。それはインターネットに参加している人、すなわち情報を発信しうる人に同じ事が言えるでしょう。

では、どうすればこの偽情報の再発信を防止できるのか。それはやはり与えられた情報について「考える」ことではないかと。何も全て嘘と思えというわけではありません。ただ、情報に対して嘘の可能性はないかちょっと考えるだけでもだいぶ違うと思うのですよね。で、嘘の可能性があれば調べるとか補足をつけておくとか。また、辿ったときにもとがわかるように、情報源は書いておいたほうがよいのではないか、と思えます。

あとは、出来る限り間違いは訂正することです。
間違いは人間である以上しょうがないとは思うのです。でも、間違いに対しては訂正したほうがよいかと。訂正は恥ではなく、正しい情報を再発信しようとする心がけがある事を示しているとも言えるのですから。

ネット上で「完全に信頼出来る情報」なんてものはないに等しい

正直「100%、完全に信頼出来る情報」なんてものは、自分が体験したもの以外ありえないと思うのです(体験しても信じられないものもあるけど)。だから情報は全てにおいて、自分の中でこれは50%くらいの信頼度とか、20%くらいの信頼度とか、誰もが判断していると思うのです。
しかしそれは自分の主観で行われるべきで、ある媒体からの情報だから100%信頼出来るというような思考は危険ではないかと。

マスコミを信じず、ネットの情報を信じる人がいますが、それは対象が変わっただけで、やっていることは同じでしょう。どのような媒体に対しても、情報に対して「自分で考える」という習性をつけることが大切ではないでしょうか。信頼出来る媒体と思っても、10%の疑いは残しておくという感じで。それは非常に疲れることなのかもしれませんが。

2018/1/8の追記

だいぶ前なので文章に稚拙な(まとまりのない)ところもありますが、大筋はそのまま載せました。mixiやニコニコ動画とか出てくるあたりが時代を感じさせます。あと文中のニュースサイトというのは、今で言うキュレーションサイトやバイラルサイトのはしりみたいなものだったかと。

しかし当時はまだ偽ニュースとかデマが大きな問題となる前のことであったのですが、デマや誤報がなかったわけではなく、ところどころで出ていたような記憶があります。それが一気に目立つようになったのは、1年後の東日本大震災の時かもしれません。
今はそれが酷くなっているのか、それとも情報(デマ)に対する意識が高まっているのかのかは、もう少し先にならないとわからないかも。

現在における個別の問題については、そのうち書きます。

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