この記事は、以前他のブログ(消滅済)で書いたものですが、このブログでの扱っているものとやや似ているので、一部修正しつつ持ってきました。そのため一部文体がいつものこのブログの感じと異なっていますがご了承ください。
ちなみに元記事の作成は2015年8月1日ですので、リンクしてあるニュース記事もそのあたりのものになります。
このような話題があった。
だが、これに限らず、この手の「有名人が実は裏でいいことしていた(けど黙っていた)」系の「デマ」は度々流れる。例えばビートたけしがフライデー事件で自粛しているときに、志村けんが面倒見てたとか。
この手のものは、ネットを調べるといろいろ出てくる。以下はそれに関しての記事。
本人が否定しているものでこれだけあるわけで(上記記事には一部真実であるものも混じっているが)、言ってないものを含めると相当数ある可能性も。
しかし、よく、こういういい話系デマの時って、「いい話なんだから(真偽はともかく拡散しても)いいじゃん」という論調が混じることがある。
だけどこれを自分に置き換えて考えてみると、はたして真実ではない情報を流された本人にとってその話は気持ちいいものだろうかと考えると、必ずしもそうとは限らない。それどころか、困惑の対象になる可能性も高いのでは無かろうか。これは何も「キャラクターと違うから」という意味だけではない。
芸能人に限らず人間、特に何もしていないのに、覚えのないことを周りに賞賛されたとしたら嬉しいか。もちろんそれを嬉しいと思う人もいるかもしれない。だけどそうではなく、そのことに関して戸惑いを覚える人も当然いるだろう。それどころか「気分の据わりが悪い」「気味が悪い」と思っても全くおかしくないのではないだろうか。だって身に覚えがないのだから。
もしこれが有名人では無く一般人、例えば自分でやってもないことで賞賛されだしたら、『世にも奇妙な物語』的な世界になると思う。
つまりたとえ「いい話」であったとしても、それを評価したところで必ずしも本人にとって(営業イメージ的な意味とかのほかにも)プラスに思われるなんてことはない。ましてやそのデマに登場する第三者(世話をされた人とか)にとっては、されてもいないことをされたことになっていて、いい迷惑にもなる可能性もある。
つまり「いい話」であっても、デマの免罪符にはならない、ということ。
逆、つまり誰かが本当はしていないような悪事をしていた系なら、尚更迷惑となる可能性が高いだろう。
故に、情報の拡散は衝動的ではなく、可能な限り注意をもって当たるべきじゃないかと思う次第。